ひろげよう創造と連帯
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WEB情報誌
『GOURIKA』

特集記事03
協和ステンレス(株)講演録

二代目社長の覚悟と取り組み

協和ステンレス株式会社

協和ステンレス株式会社
代表取締役社長
延近 尚子 氏

■「弱いから」と言われた言葉をバネに、強い女性経営者へ

私は社長に就任して4年目ですが、父から承継したわけではありません。父が他界したのは5年前で、その当時は弟が社長、私は専務でした。後継者として弟が社長になって1~2年経ったころ、父のガンがわかって入院しました。弟は当社の東京営業所で仕事をしていて、東京に住んでいましたが、社長就任後は逐一、大阪に来てがんばっていました。ところが、弟が体調を崩し、大阪に来られない時期がだんだん長くなってくると、お客様から「社長に会いたいけど、どうなっているのか」と聞かれ、社員も心配するようになりました。弟の体調が回復するのを待っていたのですが、1ヵ月、2ヵ月、さらに年単位で社長がいないという状況になると、社員は「この会社はどうなるのか」と不安になって、会社の雰囲気も寂しいというか暗い感じになっていってしまったのです。
「このままでは駄目だ」と思ったので、弟に相談すると、「(復帰は)まだ難しい」ということでしたので、「私が社長にならせてもらってもいいかな?」と自分から手を挙げたのです。弟が「がんばってもらえるなら」と言ってくれたので、社長になりました。それは、お客様の懸念と社員の不安を、ひしひしと感じていたからです。とくに、毎日、会社にいますと、社員の気持ちがよくわかるので、何とかしなければ、ということが一番大きかったと思います。自分で手を挙げた、ということが「覚悟を決めた」ということです。
そのときに思ったことは、経営者というのは、毎日会社にいるだけで、すごく大きな存在なのだということと、方向性を明確にすることが役目であるということです。社長になろうと決心する前、「このままでは会社がつぶれる」と思った瞬間、かなづちで頭を打たれたような感じがしました。それで手を挙げ、弟、妹の了解をもらって社長になり、それを幹部に伝え、社員に発表しました。このときは、ドキドキしました。認めてもらえるかどうかわかりませんでしたから。普段は、社員に何かを伝えるとき、あらかじめ紙に書いて、それを見ながら話すようにしていました。でも、このときばかりは、と思って自分で書いたものを何度も読んで暗記して、みんなの前に立ちました。社員数が結構多い(94名)ので、二部制で、食堂で話しました。
そのとき、私が震えているのを、みんながまず理解してくれて、話し出すと、うなずきながら聞いてくれたのです。
「あ、みんなが見守ってくれている」と感じて、「いま、ここに立っている私を認めてくれている」とわかったときに、「この恩をみんなに返していかなアカン…」と思いました。父の娘である、というだけで、何の取柄もない私を社長として認めてくれた社員、そういう道をつくってくれた父にも感謝し、創業者と同じパワーを持てるのかどうかわかりませんでしたが、違うカラーで、みんなに恩を返していこうと覚悟を決めた気がします。
経営者としての役目は、方向性を示すことと、信頼を失わないようにすること、❝明るさ❞を醸(かも)し出すこと、つまり「ここにいたら明るい希望がある」と感じてもらえるようにすることだと私は思っています。例えば、営業会議などで、「次の売上は目標○○!」や「こういう風にしていきたい」と言うと、みんな最初は「ええっ?」という顔をするのですが、それでも取り組めば、「やってみたら出来た!」「やったやん!」となって、私たちは力を合わせたら、いろんなことが出来ると実感します。そういうことを重ねて明るい会社にしていきたいと思っています。
私は専務のときに、父に言われてとても悔しかった言葉があります。そのころ社員の一部が荒れて、彼らの話を私が聞いて問題を解決するというのが役目だったのですが、つい「父さん、何とかしてよ」と言ったら、父から「尚ちゃんは弱いからね」と言われたのです。それがすごく悔しくて、今も心のどこかに残っています。「私は弱くないし…」と思いましたが、社員の言葉に傷ついて悲しくなっている自分は確かに弱かったと今は思います。 弟が承継するとき、私はこの会社で20年仕事をしていたので、ちょっとやっぱり悔しいという気持ちがありました。社長として期待されるのは弟で、私は「女の子なんだから、そんなにがんばらなくていいよ」「弟さんにやってもらえばいいのよ」と言われて、「そうか」と思いましたが、「女はだめ」とされることに悔しさは感じました。

今、この立場にならせてもらって、弟にもすごく感謝しているのですが、「女でも出来る」というところを見せたいと思っています。ご存じのように、私たちの業界は配管やステンレスなどが主で、男性の社長さんが多いので、私が初めて挨拶に行くと「ヤクルトの宣伝に来たのか?」とか「保険のセールスか?」と言われ、「へえ、協和ステンレスの会社?そんな会社、聞いたことないワ」と言われ、悔しい思いもしました。ですから、お客様にも認めてもらえるようにもなりたいですし、いずれ天国で父に会ったときに、「尚ちゃん、すごいな」と言われるようにがんばりたいと思っています。 それは、「弱いからね」と言われたときの悔しさが胸に残っていて、バネにしているのかなと思います。今は、父を越えたいし、「娘さん、よくやるじゃない」と言ってもらいたいと思ってがんばっています。 父は「オレは強いからね、絶対に負けないよ」ということを常々、口にしていました。それを「ふうん」と聞いていましたが、今は「自分もその言葉のようになっていきたいな」と思っています。

■M&Aで充填機のメーカーを傘下に

今年の初め、決意してM&Aをしました。話は昨年の5月ごろに浮上したのですが、相手の会社はヨーグルトなど乳業に特化した充填機をつくっておられます。その会社の社長さんが体調を崩され、「これから先が不安だ」とM&Aに踏み切る決心をされ、当社に打診されたのです。昨年の5月ですから、私は社長に就任して3年目で「自分がM&Aに乗り出すなんて、まだまだ先のこと」と思ったのですが、周りが「社長の願いが叶うのではないですか」と言ってくれたのです。というのは、私が「部品だけを売るのではなく、お客様の会社にトータルで提案が出来るような会社に成長させていきたい」と言っていたので、「その会社を買えば、自分たちの配管と充填機を組み合わせて、一緒に提案が出来るのでは? もしかしたら、社長が言っている、夢がかなうのでは?」と言ってくれたので、「話だけでも聞いてみようか」と社長さんにお会いしに行きました。そのとき、社長さんが「創業者の父と従業員で大きくしてきた会社です」と言われ、当社と社風が似ていると思って、もしかしたら、当社の社員と一緒になっても、うまくいくのではないかなと思って、M&Aを決意しました。
ただ決意してから、話がまとまるまで秘密にしていなければならなかったので、毎日、みんなに申し訳ない、でも今は言えない…と苦しかったのですが、ようやく完結して、12月に社員に発表してもよいということになって、このときもまたドキドキしました(笑)。おかげさまで、「何でそんなことをしたのですか」という社員はいなくて、「わかりました」と受け入れてもらえました。相手の会社の工場が枚方にありますので、大阪府和泉市にある当社からは遠くて申し訳ないけれど、話し合いをしながら一緒に出来る仕事があったらやっていきましょう、ということで前に進めています。
M&Aをした後、最初に何から手をつけたらいいのかわからなくて、調べたのですが(笑)、ルールみたいなものはないようで、先方の会社を知ることが大切だと思って社員面談から始めました。全社員と面談をしていったら、最近の問題点などを指摘してくれたので、それらを一から私が解決していくことが私の役目だと思って今がんばっています。地道に出来ることからコツコツとやって、将来的にはいろいろコラボレーションして、これから10年先、20年先の未来をつくり上げていけたら、と思っています。グループになったことで、新しく考えられることがいっぱいあると夢を膨らませています。

今、「流れに身を任せてよかった」という言葉がしきりに頭をよぎっています。実は3年前、会社の前の土地の持ち主が出て行くことになり、そこを買おうと決心したのです。うちは工場が2ヵ所に分散しているので、前の土地を購入して1ヵ所にまとめたいと、一番に手を挙げたのですが、なぜか二番手のはずのところに決まってしまいました。「あ~あ、買われへんかったな…」とがっかりしていたのですが、その数年後にM&Aの話が持ち上がり、もしあのとき土地を買っていたら、資金がなくなっていたわけで実現出来なかった。そのときは土地を買えなかったことが悔しくて、「何でうちが買えなかったんやろ、運がなかったな」と嘆いていたのですが、ここにきて、逆によかったのだ、資金を残していたからM&Aが出来た、何か思う通りにいかなくても、焦らず「まあ、そういうこともあるか」とゆっくり構えていることも大切なのだなと学びました。
私は経営者として、社員に未来の夢と希望を与えていくことを、自分のなすべきことと決め、社員に恩を返していくことに使命感をもって取り組みたいと思っています。つたない話ですが、以上です。

■質疑応答 

――M&Aをされたのは、御社の取引先ということになるのですか?

A 取引先になっていただける会社ではあるのですが、当社から買っていただいたことはなかったのです。それで、「うちから買っていただいたことはないですね」と申し上げると、社長さんはM&Aを決意したときに、これまで取引をしていなかったところを探していた、と言われました。取引をしていたら、この話が来ていなかったので、よかったと思いました。先方の充填機はステンレスで出来ているので、ステンレス配管などを買って、組み合わせて製作されているので、お客様になる可能性は高かったわけです。縁がなかったことが縁になりました。

――M&Aによるメリットというか狙いはどんなところに?

A 乳業に特化した充填機ですが、多分、プリンやゼリーなどほか、いろいろな用途にも使えると思いますので、「うちは充填機も出来ますので、いかがですか」という提案が幅広いユーザーの方々に出来ると思っています。逆に「すみません、うちはここからここまでしか出来ないんです」というのではなく、大きい意味で、お客様の売上を上げることで、当社のトータル的な売上も上がっていくというところを目指しています。モノづくりということでは、私たちにはない知識をたくさんお持ちだと思いますので、お互いの強みを生かし合いながら、やっていければいいのかなと思っています。充填機だけではなく、別会社でプラスチックの容器もつくっておられるんです。仮に、充填機が売れなくても、容器は日常的に使われるモノなので、売上を保つことが出来ています。今後は容器を使った提案も出来るので、プラスチックのことを勉強しなければと思っています。

――M&Aをされた会社を別会社として社名もそのまま残されていますが、一般的には、例えば「協和ステンレス・枚方工場」というように取り込むことが多いのではないかと思います。社名を残された理由は?

A 「末次興産株式会社」と「マルゴ商事株式会社」の2社ですが、末次興産は社長さんの苗字を冠した社名です。体調が保つ間の3年間は、末次社長と一緒に活動することになっています。私としては、いずれは協和ステンレスのグループにしたいと思っていますが、お客様にしてみれば、突然、取引先の名前が消えることに戸惑いがあると思います。ですから、時間をかけ、段階を踏んで、「こうなりました」ということをご理解いただこうと思っています。まず、お客様に私達のことを知っていただき、協和ステンレスを認識していただこうと考えています。時間をかけて、温めていきながら、いずれは1つのグループになれたらいいなと思っています。

――では、ゴールは1つの協和ステンレスに、ということですね。

A そうですね。でも名前にこだわるというより、末次興産だから、協和ステンレスだから、ということではなくて、同じ方向を向いて一緒にやっていく仲間というか、1つのチームになりたいと思っています。その意味で、同じ社名の方が一体感みたいなものが生まれるのかな、ということです。

――40周年を迎えるにあたって、さらなる目標、今後のビジョン、夢のようなものがおありでしたら。

A 40周年ということで、5月31日に社内でパーティーを開催しました。30周年のときに、父と「やりたいね」と言っていたのに、結局、出来なかったんです。50周年のときには、今の社員の何人かはいないかもしれないので、これまでやってきたことを社員と振り返って、お祝いをしたいと思いました。そういう場が今までなかったので。
40周年を進めるにあたり、私自身が経験したことがありました。3月に社員に、パーティーの案内をしたときに、「会場で動画を流したいので、みんなで作成しませんか」と投げかけたのです。すると、一部の社員が「自分は動画に映りたくない」と言い出し、ほかの社員も「私たちも。SNSは個人情報流出のもとです」と反対され、断念しました。
そのとき、(私はみんなでお祝いをしたいと考えていたけれど、みんなはそんな風には思っていなかった…)とすごくショックを受けて、悲しくなりました。そして、ふと思ったのは、「これが創業者だったら、みんなの反応は違っていたのでは?」ということでした。私は創業者じゃないから、みんなが私のことを認めてくれていないから、と変に考えてしまって、知り合いの社長さんに相談をしたら、「いや、それは創業者ではないから認めていない、ということではないと思うよ。延近さんの経営方針や経営理念が伝わっていないからだよ」と言われたんです。「延近さんの経営方針、経営理念は?」と聞かれたので、「うちの製品を入れてもらったお客様に『協和ステンレスに頼んでよかった』と言ってもらえるように、社長、社員一同がんばります、というようなメッセージです」と答えたら、「そういう方向性が伝わっていないから、社員はバラバラに進んでいっているのと違うかな。もう少し、しっかりと『会社の方向性はこうだ』というものを示さないと」。私が「一応、経営理念を書いたカードを社員全員に渡していますが、しっかり示せているかどうか…」と言うと、「『私たちの協和ステンレスの方針はこうだから、ついてきて下さい!』ともっとはっきり言わないと」と言われました。そこで、またハッと気がついて、自分が認められていないとか、創業者がどうだとかではなく、自分自身が出来ていないことがいっぱいある、まず今、やらなければならないことは、しっかり理念、経営方針を伝えて「私たち協和ステンレスはこっちの方向で行くから、皆さん、ついてきて下さい」と示すことが大切だと。それが出来てから、大きなビジョンというか、「こういうことがしたいんです」という発信をしようと思います。それも、私一人が発信するのではなく、私は幹部に伝える、幹部からみんなに伝えてもらうようにしたいと考えています。理念についての勉強会にも参加し、その伝え方までちゃんと学びたいと思っています。

――次の後継者を育てることも、トップの大切な仕事だと思います。そのあたりは、どのようにお考えですか。

A うちには、まだ小さいのですが3人子供がいます。男の人手がいるので、3人とも入ってもらったらいいなあと、勝手に(営業・技術・設計をそれぞれが担当して)などと考えているのですが(笑)。それをほかの社長さんたちに話すと、「3人とも入れたら、延近さんがいなくなってから絶対揉めるよ」と言われます。子供たち3人が一緒に遊んでいるのを眺めながら、「将来は、ケンカするようになるのかなあ」などと思って見ているのですが(笑)。正直に言いますと、「この子が明るくて、一番向いているかもしれない」と思っている子がいますが、果たして継いでくれるかどうかわかりません。でも、今から「一緒に出張に行ったりするのが夢だよ」と話し、「だれかがついてきてくれたら嬉しい」とは伝えています。
私自身、子供のころは父の会社に入るつもりなどはなくて、和気あいあいとした工場で働いてみたいな、と思ったときに、たまたま父が工場をしているので「父さんの会社で、一回働いてみたい」と言ったのがきっかけで入社しました。ですから、子供に興味をもってもらえるような会社にしておきたいとは思っています。試しに入ったら、「案外自分のやりたいことが出来る、将来も働き続けられる、夢のある会社だな」と思ってもらえるような魅力ある会社にしておかなければ、と思っています。
何年も前ですが、私が現場で作業をしているときに、父が中国に出張に行くことになり、途中から私も一緒に連れて行ってくれました。そのときは、父の横で話を聞いているだけでしたが、今になってみると、その経験はすごく私のためになったと思います。中国に行けと言われたら一人でも行けますし、どこで何をつくっているかがわかり、モノづくりをするとき、相手が「出来ない」と言っても、「出来る!やりなさい」と言い続けたら、ちゃんと出来ることがわかって、将来、自分の子供と一緒にこうした経験が出来たら面白いだろうなと思います。知らぬ間に学ばせてもらっていたことをとても感謝しています。
経営者として先輩である皆様には、またいろいろ教えていただきたいと思っております。本日はありがとうございました。

(2025年5月16日 KT会・KN会・人材活性化研究会 合同見学会より収録)